イメージで物事を論じているつもりの困った人達
論理でなくイメージで物事で論じているつもりの人がいる。イメージで語った方が楽なのは分かるが、正しいことを追求しない困った人々である。
たとえば、構造改革主義である。彼らの言う「90年代以降急激に日本の成長を阻害する構造問題が何で、それをどう改革できるか」という主張に論理的一貫性を感じたことがない。たとえるならば、病状の診察すらまともに出来ないのに、論理的に実証されていない民間療法での治療を主張するようなものだ。もちろんリフレ派やその支持者が構造問題が存在しないと主張しているわけではない。現状では、マクロ経済政策が優先され、構造改革が最優先される状況ではないだけだ。
経済の話では良く話だが、一昨日のTLを見ると面白い流れになっていた。それは「メイド喫茶が疑似キャバクラで、まともな商売かどうかの論争」だった。論争を挑む方は、いろいろなメイド喫茶に行ったこともなく(私も秋葉原限定なので人のことは言えないが)、マスコミ等で流れているイメージでしか持っていないようであった。そのような人がメイド喫茶について熱く語っている人に論争を挑むとは、はっきり言って怖い物知らず。
早速「まともな商売って何?」「法令遵守をしない企業がまともじゃない企業だったら、店長に残業代払わないで第一審で敗訴した(その後和解)日本マクドナルドもまともな商売や企業じゃないよね?」とイメージで論じているつもりになっていることを突っ込まれて敗北しました。
その人はメイド喫茶が疑似キャバクラって思っているらしいけど、元祖メイド喫茶のキュアメイドカフェのようにメイドから一切雑談を話し掛けられないお店だってある。チェキ(写真撮影)やゲームといった喫茶店らしからぬメニューもない。キュアさんは、制服がメイド服というだけの普通の喫茶店なのだ。もちろん、マスコミに紹介される萌え萌えメイド喫茶も実際にあるが、メイド喫茶というものは幅広いものなのである。メイド喫茶に実際に行ったことがない人は、実際に確かめないのでこういったマスコミからのイメージに陥りやすい。
イメージで論じたつもりになっている人は、今後いろいろんな人に論争を挑んでくるだろうが、負け続けるだろう。敗北の原因が何であるかを学ばない限り。
こういった人が少しでも減ってくれないと社会の改善はないだろう。
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たとえば、構造改革主義である。彼らの言う「90年代以降急激に日本の成長を阻害する構造問題が何で、それをどう改革できるか」という主張に論理的一貫性を感じたことがない。たとえるならば、病状の診察すらまともに出来ないのに、論理的に実証されていない民間療法での治療を主張するようなものだ。もちろんリフレ派やその支持者が構造問題が存在しないと主張しているわけではない。現状では、マクロ経済政策が優先され、構造改革が最優先される状況ではないだけだ。
経済の話では良く話だが、一昨日のTLを見ると面白い流れになっていた。それは「メイド喫茶が疑似キャバクラで、まともな商売かどうかの論争」だった。論争を挑む方は、いろいろなメイド喫茶に行ったこともなく(私も秋葉原限定なので人のことは言えないが)、マスコミ等で流れているイメージでしか持っていないようであった。そのような人がメイド喫茶について熱く語っている人に論争を挑むとは、はっきり言って怖い物知らず。
早速「まともな商売って何?」「法令遵守をしない企業がまともじゃない企業だったら、店長に残業代払わないで第一審で敗訴した(その後和解)日本マクドナルドもまともな商売や企業じゃないよね?」とイメージで論じているつもりになっていることを突っ込まれて敗北しました。
その人はメイド喫茶が疑似キャバクラって思っているらしいけど、元祖メイド喫茶のキュアメイドカフェのようにメイドから一切雑談を話し掛けられないお店だってある。チェキ(写真撮影)やゲームといった喫茶店らしからぬメニューもない。キュアさんは、制服がメイド服というだけの普通の喫茶店なのだ。もちろん、マスコミに紹介される萌え萌えメイド喫茶も実際にあるが、メイド喫茶というものは幅広いものなのである。メイド喫茶に実際に行ったことがない人は、実際に確かめないのでこういったマスコミからのイメージに陥りやすい。
イメージで論じたつもりになっている人は、今後いろいろんな人に論争を挑んでくるだろうが、負け続けるだろう。敗北の原因が何であるかを学ばない限り。
こういった人が少しでも減ってくれないと社会の改善はないだろう。
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