清算主義は宗教と同じ(その2)
前回の続きです。
清算主義が宗教と同じだと思う理由は、「自分の主張が絶対に正しい」と思い「他人からの批判に耳を一切貸さない」ことです。宗教の狂信的な信者が「教典に書かれた非現実的なことをすべて信じてしまうのと同じことです。清算主義がまともな経済政策より倫理的であることは間違いない。パニックを回避するために中小企業の破産は放置しても、金融機関に関して公的資金で救済するという、まともな経済政策は倫理に反すると言われても仕方がない。私は前回書いたように清算主義も「わざわざ失業や企業を破産さようとするような、人々を不幸にする政策を主張する」ことが倫理的とは思っていないが。
著名な清算主義者は「自分は他者をはるかに超越した天才である」と考える人がいる。自らの才能を過信しているので、推敲すればすぐわかる事実誤認や論理矛盾に気がつかない(そうでもないと、私より知識があり、頭の回転が早いのだから説明がつかない)。そしてプライドが非常に高いので他人から誤りをしてされても決して認めようとしないのだ。具体的な内容は、このブログ内検索で「野口悠紀雄」や「池田信夫」と検索すればいいので重複して書きませんが。
ただ多くの清算主義者は経済を深く学ぼうとしない無知な人がほとんどです。これは教祖よりも信者がはるかに多いと同じことですね(笑)。
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清算主義が宗教と同じだと思う理由は、「自分の主張が絶対に正しい」と思い「他人からの批判に耳を一切貸さない」ことです。宗教の狂信的な信者が「教典に書かれた非現実的なことをすべて信じてしまうのと同じことです。清算主義がまともな経済政策より倫理的であることは間違いない。パニックを回避するために中小企業の破産は放置しても、金融機関に関して公的資金で救済するという、まともな経済政策は倫理に反すると言われても仕方がない。私は前回書いたように清算主義も「わざわざ失業や企業を破産さようとするような、人々を不幸にする政策を主張する」ことが倫理的とは思っていないが。
著名な清算主義者は「自分は他者をはるかに超越した天才である」と考える人がいる。自らの才能を過信しているので、推敲すればすぐわかる事実誤認や論理矛盾に気がつかない(そうでもないと、私より知識があり、頭の回転が早いのだから説明がつかない)。そしてプライドが非常に高いので他人から誤りをしてされても決して認めようとしないのだ。具体的な内容は、このブログ内検索で「野口悠紀雄」や「池田信夫」と検索すればいいので重複して書きませんが。
ただ多くの清算主義者は経済を深く学ぼうとしない無知な人がほとんどです。これは教祖よりも信者がはるかに多いと同じことですね(笑)。
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