日銀総裁候補?竹中氏について書いてみる
森永卓郎「構造改革をどう生きるか」の「第94回:「順調に進む財政再建」をひた隠す理由」を読んだ。
以前の記事で森永氏の「オタクの側面」を強調してしまったが、本業(経済アナリスト:獨協大学経済学部教授)であるこの記事を私は高く評価したい。
私が森永教授と意見が異なるのは、「第93回:自民大敗より大きい「経済不安の種」」でのその3にある「竹中氏が次期日銀総裁にふさわしいか」どうかである。
森永教授は「竹中氏が日銀総裁になれば、即座に急激な金融緩和をして、あっという間にデフレ脱却をしてくれるだろう。」と書いているが、私は竹中氏が日銀総裁になった場合世論によってどう動くか分からない危険性があると思う。
竹中氏の批評で的確なのがジャーナリストの東谷暁氏が評する「竹中氏 カオナシ」論だ。すなわち、映画「千と千尋」に出てくるカオナシのように特定の自説がなく、他人の意見を自分がかねてから主張してきたように言っている」(東谷暁『誰が日本経済を救えるのか』日本実業社、2002、P48参照)というものだ。実際、小泉政権の初期に世論に従い、不良債権処理を強行しようとしたが、「竹中ショック」と呼ばれる株価急落や与党からの圧力で自分の立場が危うくなると不良債権処理策を事実上作った木村剛をさっさと切り捨てている。切り捨ては政策判断として正しかったが、小泉政権のスローガン「構造改革なくして景気回復なし」とマクロ経済政策を軽視していた竹中氏を私は信用できないのである。
世論が金融緩和によるデフレ脱却を支持すれば竹中氏はその要求に応じる可能性が高いが、「インフレが悪」という俗説を信じ切っている世間にインフレ支持を期待するは無理な相談だ。
森永教授のようなデフレ脱却を望むならば、リフレを主張し続ける人を日銀総裁にするしかない。福井総裁のように就任前の言動と就任後の行動がとてつもなく変化する人もいるから何とも言えないが(笑)。
一番最悪なのは、速見前総裁のような破綻した旧来の日銀理論にこだわる人であることは、森永教授と何ら変わらない。
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以前の記事で森永氏の「オタクの側面」を強調してしまったが、本業(経済アナリスト:獨協大学経済学部教授)であるこの記事を私は高く評価したい。
私が森永教授と意見が異なるのは、「第93回:自民大敗より大きい「経済不安の種」」でのその3にある「竹中氏が次期日銀総裁にふさわしいか」どうかである。
森永教授は「竹中氏が日銀総裁になれば、即座に急激な金融緩和をして、あっという間にデフレ脱却をしてくれるだろう。」と書いているが、私は竹中氏が日銀総裁になった場合世論によってどう動くか分からない危険性があると思う。
竹中氏の批評で的確なのがジャーナリストの東谷暁氏が評する「竹中氏 カオナシ」論だ。すなわち、映画「千と千尋」に出てくるカオナシのように特定の自説がなく、他人の意見を自分がかねてから主張してきたように言っている」(東谷暁『誰が日本経済を救えるのか』日本実業社、2002、P48参照)というものだ。実際、小泉政権の初期に世論に従い、不良債権処理を強行しようとしたが、「竹中ショック」と呼ばれる株価急落や与党からの圧力で自分の立場が危うくなると不良債権処理策を事実上作った木村剛をさっさと切り捨てている。切り捨ては政策判断として正しかったが、小泉政権のスローガン「構造改革なくして景気回復なし」とマクロ経済政策を軽視していた竹中氏を私は信用できないのである。
世論が金融緩和によるデフレ脱却を支持すれば竹中氏はその要求に応じる可能性が高いが、「インフレが悪」という俗説を信じ切っている世間にインフレ支持を期待するは無理な相談だ。
森永教授のようなデフレ脱却を望むならば、リフレを主張し続ける人を日銀総裁にするしかない。福井総裁のように就任前の言動と就任後の行動がとてつもなく変化する人もいるから何とも言えないが(笑)。
一番最悪なのは、速見前総裁のような破綻した旧来の日銀理論にこだわる人であることは、森永教授と何ら変わらない。
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