ドラッカーを学者と認めない理由
昨日の記事の続きです。私がドラッカーを学者として認めていないのは「典型的なダメな論議」に終始しているからです。
私が最初にドラッカーの著作を読んだのは『ポスト資本主義社会』(1993)です。この本最大の問題は「ポスト資本主義」が何かを明確に定義できず論争すらできない」ことにある。三輪(東大教授)・J.マーク ラムザイヤー(ハーバード大学)の著作をまねしてポスト資本主義社会に関する疑問を列挙してみよう。
(1)ポスト資本主義社会においては「知識が重要である」とあるとあるが、その知識の具体的定義が見あたず、ドラッカーの言う知識に関して議論すること自体不可能である。
(2)重視される知識は時代によって変化する。『ポスト資本主義社会』出版時にはインターネットは一般に公開されておらず、ビジネスの知識として全く役に立たなかった。時代を超えての知識の比較をすることは不可能と考えられる。従って資本主義社会とポスト資本主義社会をどの時点で区別することなど無理である。
(3)ポスト資本主義社会が「知識が重要である」というなら「旧来の資本主義が知識を軽視している」と言い換えられる。もし旧来の資本主義が知識を軽視しているならば、なぜ20世紀に限定してもこれほどの技術革命が可能であったのか。
(4)知識の具体的定義があると仮定して、ポスト資本主義社会では、知識が資本や労働よりも重要であるとされる。どのような手段で知識と資本や労働を比較できるのだろうか。比較が可能だったら、なぜ会計学などで知識を貨幣的評価をしなかったのだろうか。
これらの私の質問に熱心なドラッカー信者でも解答することはおそらく不可能だろう。(1)に関しては、一般的な定義がない場合自分なりに「知識」を具体的に定義しその内容を世に問うというのが、学者としての正当な手続きだろう。これらの手続きを行なわず曖昧な概念のまま主張をするドラッカーを学者として認めることは私にはできない。そもそもドラッカーが本当に優秀な学者ならば、(1)~(4)ような素朴な疑問に関して先回りして著作ですでに答えているはずである。
学者としては問題外である。しかしドラッカー死去の時に書いた「私も、90歳をこえての執筆活動(享年95)を行う彼の生き方は見習いたい」という気持ちはいまだに変わっていない。ドラッカーの著作は、本の内容を疑って読まず、もっとらしい内容によってビジネスマンを引きつけ続けるのだろう。所詮は多勢に無勢。私が何を言おうがね(笑)。
Tweet
私が最初にドラッカーの著作を読んだのは『ポスト資本主義社会』(1993)です。この本最大の問題は「ポスト資本主義」が何かを明確に定義できず論争すらできない」ことにある。三輪(東大教授)・J.マーク ラムザイヤー(ハーバード大学)の著作をまねしてポスト資本主義社会に関する疑問を列挙してみよう。
(1)ポスト資本主義社会においては「知識が重要である」とあるとあるが、その知識の具体的定義が見あたず、ドラッカーの言う知識に関して議論すること自体不可能である。
(2)重視される知識は時代によって変化する。『ポスト資本主義社会』出版時にはインターネットは一般に公開されておらず、ビジネスの知識として全く役に立たなかった。時代を超えての知識の比較をすることは不可能と考えられる。従って資本主義社会とポスト資本主義社会をどの時点で区別することなど無理である。
(3)ポスト資本主義社会が「知識が重要である」というなら「旧来の資本主義が知識を軽視している」と言い換えられる。もし旧来の資本主義が知識を軽視しているならば、なぜ20世紀に限定してもこれほどの技術革命が可能であったのか。
(4)知識の具体的定義があると仮定して、ポスト資本主義社会では、知識が資本や労働よりも重要であるとされる。どのような手段で知識と資本や労働を比較できるのだろうか。比較が可能だったら、なぜ会計学などで知識を貨幣的評価をしなかったのだろうか。
これらの私の質問に熱心なドラッカー信者でも解答することはおそらく不可能だろう。(1)に関しては、一般的な定義がない場合自分なりに「知識」を具体的に定義しその内容を世に問うというのが、学者としての正当な手続きだろう。これらの手続きを行なわず曖昧な概念のまま主張をするドラッカーを学者として認めることは私にはできない。そもそもドラッカーが本当に優秀な学者ならば、(1)~(4)ような素朴な疑問に関して先回りして著作ですでに答えているはずである。
学者としては問題外である。しかしドラッカー死去の時に書いた「私も、90歳をこえての執筆活動(享年95)を行う彼の生き方は見習いたい」という気持ちはいまだに変わっていない。ドラッカーの著作は、本の内容を疑って読まず、もっとらしい内容によってビジネスマンを引きつけ続けるのだろう。所詮は多勢に無勢。私が何を言おうがね(笑)。
Tweet
スポンサーサイト